説教要旨
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2022年7月31日 聖霊降臨節第9主日 説教要旨

「断言するダビデ」 家次恵太郎牧師                            

 サムエル記上17章32~50節

 

イスラエルの民とペリシテ人との戦いの中で、巨人ゴリアトの脅威に恐れおののいていた。しかし羊飼いである少年ダビデはこれを「生ける神の戦列に挑戦した」と断言した。神は全てに勝っている。全てを導かれる。その神と共にいてくださることの力強さが私たちを支える。私たちを恐れさせるいかなることも、神様より強いだろうか。神が守ってくださる私たちを飲み込んでしまうだろうか。決してそうではない。

 

ダビデはいつもの羊飼いの姿でゴリアトに向かった。いつもの信仰生活こそ、神が最も強いと全生活に認める平安に導き続ける。大変なことが起きた時に、その日常の信仰生活を生きた自分がそのまま背伸びなく神の勝利に与る。

 

私たちはイエス様の復活のキリストの生ける神の勝利に連なる者とされている。十字架により罪にも死にもサタンにも打ち勝たれたお方と共にある。赦され、祈りを聞かれ、永遠の命に生かされる者として、神の救いを断言する信仰を告白したい。

2022年7月24日 聖霊降臨節第8主日 説教要旨

「イエス様が癒してくださる」 家次早紀牧師                            

マルコによる福音書8章22~26節

 イエス様は弟子たちと共に、ベトサイダという名の村を訪れました。それほど大きな村ではありませんが、多くの人が行き交う賑やかな村です。

 しかし、イエス様はこの村が持つもう一つの顔をよく知っておられました。かつて、イエス様はこのように言われたことがあるのです。「ベトサイダ、お前は不幸だ。」何度イエス様の言葉を聞いても、奇跡を目撃しても、悔い改めようとしないベトサイダの人々を、イエス様は厳しくお咎めになったのです。それでも、イエス様はこのベトサイダの村を見捨てず、この日もベトサイダを訪れたのです。

  すると、村の人々が一人の目が不自由な人を連れてきたのです。彼らはイエス様の前まで来ると、この人に「触れていただきたい」と願いました。すると、イエス様はこの目が不自由な人の手を取り、村の外まで連れ出したのです。当然、イエス様のもとまで、この人を連れてきた人々は、村の中に残ったままです。目が不自由なこの人にとって見れば、一体これから何が起こるのだろうかと、不安が募る時間だったかもしれません。しかし、この人はイエス様の手を振り払うことなく、身を委ねながら歩きました。その姿に、この人の気持ちがよく表れていると思います。これから何が起こるのかは分からない、けれど、きっとこの方は私に良いことをしてくださるのだと信じたのです。


 
 村の外に出ると、イエス様はこの人の目に唾をおつけになり、両手をその頭の上において「何が見えるか」とお尋ねになりました。すると、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。」と喜びの声が上がったのです。


 
 イザヤ書には、このような預言が記されています。「そのとき、見えない人の目が開き 聞こえない人の耳が開く。そのとき 歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。」ここに書かれているのは、いずれ来る世の終わりに起きることです。イエス様がおこされた様々な奇跡は、いずれきたる神の御国で起きることの先取りなのです。

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