説教要旨
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2022年5月22日 復活節第6主日 説教要旨

「悲しみは喜びに変わる」 家次早紀牧師

準備中

2022年5月15日 復活節第5主日 説教要旨

「つながる」 家次恵太郎牧師

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる」(1‐2節)。実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる、と聞きますと怖くなるかもしれません。その先に続いていく言葉に対して思考停止してしまうかもしれません。はたして私は実り豊かな枝だろうか。それとも実を結ばない枝だろうか。取り除かれてしまう枝だろうか、いや他のこういう人間よりはましなはずだ、と自分を審査し始めたりするかもしれません。しかし、見落としてはならない大切な言葉があります。「わたしの父は農夫である」と書かれているのです。農夫は神様です。実りのある枝かどうかを見られるのは父なる神なのです。私たちの周りの人々ではありません。自分自身ですらありません。これは、自分はどれほどの働きをしたかというように、単純に人間の目をもって比較評価できる類のことではないのです。イエス様は、「切り取られないために、どのような実を結ばねばならないか」という話はしておられません。「どのような枝が実を結ぶのか」ということを語っておられれます。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」(3‐5節)。豊かな実りは枝の努力によって結ばれるのではありません。枝そのものに実を結ぶ力はないのですから。枝が幹につながっている時、その命によって枝は実を結ぶのです。注がれるキリストの命の力が、福音として満ち溢れ、私たちは生かされていくのです。そしてこの世界に福音の実りである教会がぶどうの木として存在するのです。

 そして、主は私たちにつながっていることを求めるだけでなく、「わたしもあなたがたにつながっている」と約束してくださるのです。私たちは、孤独の中で戦っているのではありません。私たちがどのような状況にあっても、主御自身が、わたしもまたあなたがたにつながっている、と約束し励ましてくださるのです。なんと喜ばしいことでしょうか。そして、キリストが「わたしもあなたがたにつながっている」と言ってくださるならば、自分の目に自分がどう映ろうと、失望する必要ありません。なぜなら、「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」(5節)とイエス様は言われるからです。これはイエス様の真実な約束の言葉です。
 
 キリストに救われて生き、つながっているならば、最終的に父なる神が、私たちの人生に豊かな実りを見てくださるのです。イエス様に繋がっていただいた者として出会った私たちは、皆がどんな時も繋がっていることを祈り願いながら、必ずイエス様がそうしてくださると信じます。

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